ぎっくり腰を経験して学んだ事

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ぎっくり腰。これは経験したことがある人じゃないと分からない痛みだと思う。

私も経験するまでは「そんな大袈裟な」と思っていた。

しかし、「要」という漢字が表すとおり、腰というものは体を動かすにあたって

とても重要な役割をしている。

腰が曲がらないのはもちろん、足も上がらないし、上を向いても腰に響く。

座ってても、立ってても痛い。

寝ているのが一番楽ではあるが、寝返ることがツライ。

トイレも、靴下を履くのも、ましてやストッキングなんて履けない。

優しい旦那さんが靴下を履かせてくれた時は、逆に惨めな気持ちになった。

いままで当たり前に出来ていたことが、出来なくなる。

靴もヒールのある靴は履けないし、ストッキングが履けないので基本的にデニムスタイルになる。

着たい服が着れない。オシャレが出来ない。

私は、基本的に外に出かけるのが好きなタイプだ。

この腰痛と共に無理やり外に出かける。(だから治りが遅かった)

電車の揺れに耐えられるパワーがないので座りたい。

しかし、見た目では怪我をしている様には分からない。

(ぎっくり腰は怪我の様なものである)

席を譲ってもらえるわけもなく、必死に角のスペースで2方から体を支えて耐える。

なので、なるべく満員電車には乗らない。

さて、ぎっくり腰の痛みがどれだけのものかお分かり頂けただろうか。

まぁ、出かけれるくらいじゃ大丈夫じゃん。と思われるかもしれない。

実際に出掛けた先で会った、整骨院の先生や、友人は

さぞかし私に同情してくれたことだろう。

本当に歩くのが遅いし動きが遅いし、痛い痛いとずっと言っていた。

こんな状態が1週間くらいで終わったなら、私の中に気付きもなかったかもしれない。

私はこの状態が1ヶ月半以上続いたのだ。

それはそれは、闇の中にいる様だった。

いつ治るのか分からない不安。

まさか一生このまま治らないのではないだろうか。

これは、腰が原因ではなく内臓に何か病気があるのでは。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。

何で私がこんな痛い思いをしなきゃいけないのか。

ネガティブな感情ばかりが浮かんでくる。

しかし、そんな時に助けになったのは瞑想である。

座れないので寝た状態で行なっていたが、それはとても心地いい時間だった。

この痛い状態を受け入れる。

どうして、何でと原因追求するのではなく

いま、私がここにある状態を受け入れる。

そうすると、私が今、このタイミングで、こういう状態になったのには、意味があるのだと思えてくるのだ。

確かに、不幸中の幸いで、私は今お勤めをしていない。

なので、何の気兼ねも無く休むことができた。

このタイミングでしっかり休めということなのだと思えた。

そして、腰の痛みがピークの時に母から電話があった。

私が腰が痛い事を伝えると、

「分かるよ、お母さんも10年くらいずっと腰が痛いからね」と返ってきた。

え、そうだったの?と私は母の体の状態に気付けていなかったことにショックだった。

「前にあんたに『お母さん腰曲がってるよ!』って言われてさ〜。分かってるんだけど曲がっちゃうんだよね〜。」と言われた時には追い打ちでショックを受けた。

腰が痛い母の気持ちも知らずに、「腰曲がってるよ!」なんて酷いな私。

実際、自分が腰を痛めて気付いた。

体が曲がってるなんて指摘されたところで痛くて直せない。

あぁ、お母さんごめんなさい。もっとお母さんに優しくするよ。

私の旦那さんは、出会った時、股関節に痛みがあって、歩くときも、びっこをひいていた。

過去にした大病の2次被害で、大腿骨壊死という状態だった。

(今は人工関節の手術をして普通に歩いている。痛みも無いらしい)

私は健康な体の時は、多分普通の人より歩くのが速く、せっかちな性格のため

いつも歩くのが遅い旦那さんを「はやくー!」と言って急かしたり、

酷い時は旦那さんの遅いペースに合わせてあげれなくて、一人でスタスタと歩いたりしていた。

この腰痛のおかげで気づいた。

いや、痛くて全然はやく歩けないし。

はやくー!って急かされたって、急げないよ。

本当にごめんね、旦那さん。

私は、自分が今まで健康でケガもしてこなかったから、

そういう痛みがある人に対して、配慮が全然できていなかった。

そのことにやっと気づけた。

あと、新宿など周りの人たちがどんなに歩くペースが早くても

私は腰のせいで歩くのが遅かった。

人の邪魔になってるんだろうなーとは思ったが、仕方ない。

だって早く歩けないんだもん。

たまに、私を追い越してから振り返って、私の事を見る人もいたりした。

以前の私だったら、そういう事をすごい気にしていたと思う。

「私なんかしたかな。迷惑だったかな」とか考えていたと思う。

しかし全く気にならなかった。

だって仕方ないもん。なんて思われたって、今の私はこうなの。

ぎっくり腰のおかげで、私は優しさと、図太さを手に入れた。

そして、今まで当たり前にできていたことができなくなったことで、

あぁ、思い通りに体が動くって、なんて幸せな日々だったんだろうと実感した。

そして、腰が回復していく過程で、

出来なかった前屈みや、靴下を履いたり、10分も立っていられなかったのに、1時間も立っていることができる様になることで、成長を感じることができた。

ツライ時はつらいと言える様になったし、

できないことはお願いできる様になった。

この痛みが来るまでは、それができなかったのだ。

まだ、腰が完璧に治ったわけでは無いが、治ってエネルギーが溜まってきたら、

きっと以前よりも強くなっているだろう。

そして、もっと痛みを感じてる人に対して優しくできると思っている。

あと、オシャレができなくなったと書いたが、

そうなると服もこんなに要らないな、と思えたので断捨離できそうだ。

ぎっくり腰の痛みは本当にしんどくて、地獄の様に思っていた時期もあるが、

今では自分に必要な事を考えさせられる、貴重な時間をもらったと思っている。

だからぎっくり腰になってしまった人も、気分を落とさずに

内省する時間だと思って、思いっきり、心置きなく休んでほしいと思う。

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